建築ってなんだろうか。

建築そのものを語るとき、どうしても言葉の不足を感じてしまう。



「建築そのもの」というのは建築の力というか……見た目から空間から機能から心地良さから……と、ひたすらに続いてしまう。



その前に「建築」って言葉が何なのかって話だろうか。

当たり障りなく言うと、広義の社会的に共有される建物って感じ。

酷く曖昧で何とでもなる言い様である。



価値観が多様化している時代故か、モダニズム自体が緩やかな原理の上に成るからか、様式なんて言葉で今の建築を話すのも自分には難しい。



そんなこんなで最近考えていることは、建築(もしくは空間?)で個人から街や歴史といった大きな物事までが連続している一つの環境だと感じさせたい、またはそう意識して設計する、ということ。「建築の大らかさ」だと思う。



大きなビルの裏側の非常階段に出たとき、ある意味で無機質に人を飲み込む地形や森のような、大きな広がりの空間と隣り合う心地良さ。



コスモロジーってやつなのかな。そこから連続して、洞窟のような徐々に閉じた空間の安心感。

基礎や躯体、屋根は大地の延長なんだろう。


その間で人は、ちょっとずつ些細なモノで場所を刻んでいくんだと思う。丁度、日本の建物が水平性が強く、仮設的な物で緩やかに仕切って奥行きを持つように。

それは街路の構造と連続している。



そんな事を思いながら建築を学んでいる。


「語る」ことの意味を少し学んだこと。そして自分の思考を形にし客観的に見ることを目的に書き始めた。



とりあえず口調が安定するまでは書いていこうと思う。